さあ、列車でプラッチュアップキリカンへ行きましょう!

2018年3月 プラッチュアップキリカン旅行


さあ、列車でプラッチュアップキリカンへ行きましょう!

どの交通機関を使っていこうかということなのですが、今回は、鉄道を使っていくことにしました。電車ではありません。タイの鉄道は日本のように電化されていないので、列車です。

始発駅であるファランポーン駅からプラッチュアップキリカン駅までは168バーツ(約540円)
3等車ですが、座席指定がありました。

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まだ1時ちょうどの出発時間まで間がありますが、カンチャラー(プラットホーム)に向かいます。掲示板が新しくなっていました。今まで手差しのボードを掲示していました。

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この列車の行き先は、はるかタイの南端、マレーシアとの国境の街、スンガイコロクです。
僕たちの乗る5号車は、ハジャイ行きのプレートが付けられていました。

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途中駅のハジャイで車両を減結して、目的地に向かうのでしょう。隣の6号車は終点まで行くようです。

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心配していた車内は、残念ながら冷房なしでした。これで5時間半の旅をします。ヘタするとバンコク成田間のフライトと同じです。

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オンタイム(定刻)でファランポーン駅を出発しました。タイの鉄道、始発駅の出発は時間に正確なのですが、目的地に定刻に着くことはほぼないといっていいと思います。(2018年現在)

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途中、将来バンコクの中央駅になる、バンスー駅が見えてきました。

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かなり立派な駅になりそうです。

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このバンスー駅が完成すると、工事中のレッドラインなどの新線と現在稼働中のパープルライン、地下鉄などと駅を近くにすることになり、大変便利になります。

レッドラインや、地下鉄はかなり延線工事が進んでいて、開通もそう遠くはなさそうなのですが、じらされるのがこの国の常識(笑)、もうできているようなのに、いつになったら乗れるのだろうという新線が現在いくつかあります。

でもこのバンスー駅ができるのは、まだ先のようです。

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4時間以上乗って、やっとホアヒンにに到着。ここは何度か来たことがあります。既にプラッチュアップキリカン県なのですが、目的地の駅はまだ100キロ以上先にあります。

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大きな停車駅では必ず、売り子さんがいます。もちろん車内販売も走行中に頻繁にやって来ます。

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日が暮れ始めました。ずっと我慢してきたのですが、かなりお尻が痛くなってきます。同行した方は、ずっと座っていられなくて、あちこち行っていました。かなり苦痛度が僕と違ったようです。

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列車の長旅がやっと終わりました。7時到着なので、約30分の遅延。結局6時間狭い座席で我慢しました。指定されていたボックス席の前に座っていたご夫婦は、この後4時間(シーショモーン)乗ると平気で言っていました。タイ人の忍耐強さには驚きです。

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つづく


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いわれ深いプラッチュアップキリカンの浜辺へ

2018年3月 プラッチュアップキリカン旅行


いわれ深いプラッチュアップキリカンの浜辺へ

天変地異が続きましたね、我が祖国、日本。
山が崩れまくる震度7の地震、錨を降ろした船が流されてしまうぐらいの強い台風、そして40℃越えの灼熱地獄。それが順繰りやってきている日本。9月1日になれば学校は新学期。笑顔で登校する児童たちの姿を想像しがたい現実に、タイに居ても焦燥感を感じてしまいます。

この地に住んでいると、配慮の足りない言い方になりますが、日本は果たして人間が住むのに適しているのかと思ったりしてしまいます。タイもクソ暑いときがあるのですが、まあ人間が住むのに適していると思います。地震もないしね。 でも日本は最近、いつもと違っています。

そんな中にあって、自民党の総裁選。タイミングが悪すぎかと思いますが、憲法の改正や経済の議論については平時のごとく、果敢で慎重に行われるべきだと思います。


さて、久しぶりなタイ国内旅行。プラッチュアップキリカンはもちろん初めて訪ねます。

タイ地図


なぜプラッチュアップなのかと言いうことなのですが、先の大戦で日本軍が12月8日未明にビルマに進駐するため、いくつかの海岸からタイ領土に入った場所の中の一つだったという、いわれ深い街なのだからでした。

その概略を記してみます
日本国は1941年12月7日(開戦前日の日曜)の夜、ピブン首相以下のタイ首脳を、国内の駐留や通行許可をもらうためにバンコクのタイ国日本大使館の晩餐会に呼んで、日本軍のタイ国通過の許可を得る算段だったのですが、肝心のピブン首相が外出していて思惑が外れてしまいます。

8日朝にバンコクに戻ったピブン首相に、日本軍のタイ領通過の必要性と即時停戦処置する理由を説明して、1.軍隊通過の承認 2.防守同盟 3.攻守同盟 4.三国同盟加入の4条件の中のいずれかをタイ政府と協議の上、条約の締結を申し入れました。

タイ国政府は単純な軍隊通過協定を選ぶとして、12月8日正午頃、単なる軍隊の通過のみの協定が成立し、午後3時ごろ正式に調印されました。

ところが8日早朝に日本軍の各隊が上陸した南部タイの各地では、日タイ両軍間に衝突が起こってしまっていました。バンコクから発せられた停戦の無線連絡が機器故障のため、プラッチュアップキリカンにだけはなかなか届かず、長らく日本陸軍宇野支隊との間に戦闘が続き、双方に相当の死傷者を出したということです。

その後、タイ国は12月11日11時、攻守同盟に仮調印。日タイ同盟条約の正式調印は1941年12月21日にバンコク宮殿内の寺院で行われます。更に、タイ同盟条約に基づく日タイ共同作戦に関する協定は1942年1月3日に成立しました。

つまり、タイ国は日本と同じ枢軸国側の国となったのです。それほど両国の関係は古くから深く、この先もお互いに友好関係を続けていく理由があるのだと思っています。



話は変わります
先の大戦が終わり、東南アジア諸国やインドは独立し、長く続いていた植民地支配の支配から解放されることになるのですが、華僑による経済的な支配は現在進行形で、強い影響力を持っていると思います。

インドネシアのナビブ前首相は中国寄りの政策を進め、同時に私財も大きなものにしました。中国寄りの政策を進めるということは、中国企業の進出を許す見返りに、巨額の賄賂を受け取ることになり、自国の雇用や経済発展に寄与すること少なく、自身の私腹を肥やすだけになります。そういうかの国の許せない手口が、この期に及んでも明々白々になったといっていいと思います。

つまり、中国企業が絡んできているところは、賄賂が動いているということなのです。本国はそんなダーティーな世界の大本山。生き馬の目を抜く世界を渡り歩いている人たち…。みんなもやっているのだから自分もやっていい。 タイでもそういったところがありますが、ぞっとします…。

テレビ番組、「水戸黄門」をそれらの国で、放送すべきです。 (笑)


プラッチュアップキリカン旅行の話でしたね…。
こっそりオヤジの独り言モードに入ってしまいました(笑) こういう話ってヘイトなんですかね?

ああ、もう一つ大切なプラッチュアップキリカンを訪ねる理由がありました。

古くはカオサン、そして長くシーロムにあった和食のお店「竹亭」さんの新しいお店、「富士山」に行って、おいしい日本食をいただき、店長さんのお話を聞きたいという理由があったのです。ちょうど来タイしていた同郷のお仲間さんにも賛同していただき、二人で浜辺の街、プラッチュアップキリカンを訪ねてみることにしたのでした。


つづく


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サラリーマンを早期退職し、リタイアメントビザでバンコクに住んでいます。仕事の関係上ほぼ毎月帰国しています。

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